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秩父 武甲山 会山行尾根組 2022.10.11

横瀬駅 8:15==タクシー2 台 2800x2 \5,600 @700==武甲山御嶽神社一の鳥居 8:35---十五丁目 9:05/10---武甲山 10:50/11:50---浦山口駅 14:20



11年越しの山頂

2022年10月9日。武甲山の頂上に立つことが出来た。この山の存在を知ってから11年。最初はガスっていたが、徐々に下界が開け秩父盆地を一望することが出来た。ぷかぷかと浮かぶ雲と青い空は、秩父の天空世界だった。秩父盆地にいれば絶えず武甲山が見える所以。今山頂から見える盆地からも、この山が見える。当たり前だけどその当たり前を体感し暫しその景色に見入った。




武甲山との出会い

武甲山を知ったのは 2011 年のこと。ふとしたきっかけで友人と泊まりがけで出かけようということになった。友人が希望したのが秩父だった。近場でありながら行ったこともななく面白そうだったので快諾した。三峰山や秩父神社、秩父札所などをあちこち訪ね歩いた。視界にあるのがピラミダルな山だった。その山が武甲山ということを初めて知った。ああ、なるほど、この武甲山を中心に秩父盆地の聖域空間が展開されているのだなと自分なりに理解した。切り立った鋭角な武甲山は、この地の象徴であることも。しかしながら、あの山は不自然に鋭角で不思議に思った。西武秩父駅方面からは、山の北斜面は逆光で山肌がよく見えない。漸く目を凝らすと山肌は段々に削られているのが分かった。更に目を凝らすと米粒大のクレーン車が微かに見える。石灰岩(セメント)を産出している山であるということを知った。秩父本線に乗ればセメントを乗せた貨物列車を目にし漸くこの地の一大産業が武甲山のセメントだった。

それから数年後、仕事で秩父地方に半年間通う機会があった。武甲山の西側の影森方面に行けば、長年掘削された山肌が痛々しい。横瀬側に行けば、昼過ぎに決まって発破音が轟き山肌が煙に包まれた。ある時秩父神社前の商店街にある写真館で、掘削前される前の武甲山のモノクロ写真が展示されていた。急峻な尾根が幾筋もある隆々且つ凛凛しいの武甲山の山容に衝撃を受けた。今と全然違う。当時既に登山を始めていたが、武甲山は都内からアクセスの良いにも関わらず、私の行きたい山リストに入らなかった。神社のある山頂さえ爆破され、今の頂上は当時より30m低い。登山は自然を存分に満喫することを目的としていた私には、そんな「可哀想な山」にわざわざ登りたくないという思いがあった。その話を山の友人に話すと「そういう一面もあるかもしれないけど、武甲山は武甲山なりの魅力があるよ!それなら一緒に登ろう」。友人は武甲山登山を提案してくれたので二つ返事で承諾したが、友人の急用で武甲山登山は叶わなかった。ならば一人で行けば良いのだが、一人では行く気にはなれず、他の山に登った。それから程なくして、自宅の北西に見える鋭角な山が武甲山であることが分かった。





満を持しての会山行

見知ってはいたけど一人では行けなかった武甲山。飯能駅で西武秩父行きの電車に乗り換えるとボックス席でSさんと合流。日和田山を右手にトンネルを幾つか越えて行く。秩父へ通じる県道は山間の谷間を縫うように西武線と並走していることが分かる。芦ヶ久保駅で中学生の少年が一人乗車した。カランコロンといつも山で聞く音。一瞬何かの聞き間違えかと思ったが間違いなく熊鈴だった。学校のカバンに熊鈴とは随分風変わりを通り越し風流に感じたが、次の集合駅の横瀬で下車してその答えが分かった。他の中学生も皆熊鈴を付けていた。学校の決まりなのだろう。我々が山に行くときにしか付けない熊鈴は、彼ら彼女らにとっての日常なのだ。私の近所の小学生は防犯ベルを付け、横瀬の中学生は熊鈴を付け登校する。ヒトとクマ。警戒する対象が違う。


横瀬駅でSMさんと初めて会い、握手をしながらの挨拶。この日の山行は 8 人でタクシーに分乗し一ノ鳥居の登山口へ向かう。登山口までのその道はセメント工場が林立し道が白い。MさんやSさん、SKさんの言うように確かに歩くには不向きのようだ。一ノ鳥居境内の駐車場は既に満車だった。神社の鳥居は狛犬でなく秩父特有の山犬(オオカミ=大神)。ここ最近の尾根山行は蒸し暑かったがこの日の山行は流石に 10 月、程よくひんやりとしていて快適。晴れの予報に反し曇天でガスがかかり始めるが、杉の間に立ち込めるそれはそれで風情があった。山道には 1 丁目から 52 丁目までの石の道標があるので山頂まで後どれくらいか分かる。道もしっかりしていて歩きやすい。

昼前に山頂に到着。下山は浦山口駅までのルート。武甲山の西面のギザギザの山道を介し沢筋に出て林道に至った。浦山口の電車にも間に合い、無事に秩父駅の温泉に到着する。

今まで「削られて行く可哀想な山」というイメージしかなかった武甲山であったが、今回の山行で武甲山の認識が大分和らいだ。秩父の象徴と信仰の対象でありながら、同時に産業という恩恵を人に与え続ける山。良いきっかけとなった山行でした。企画してくださったSKさん、一緒に山行した皆さん、ありがとうございました。




後日談

後日、武甲山周辺を再訪した。山行でタクシーで行った横瀬駅から登山口までの車道を歩いてみた。セメント 4 社の工場のダイナミックな轟音とダンプカーの激しい往来。外していたマスクを再び付け直した。車道脇の草木はうっすらとセメントの粉で白くなっている。道路も白いので自ずと登山靴も自分自身も白くなった。確かにこの車道は、登山ルートには適していないと思った。

秩父神社前の商店街の小菅写真館。山容が掘削で変わる前の武甲山の写真を店頭に飾っていた。数年前から気になっていたので訪ねてみた。日が暮れた時間帯にも関わらず昭和 14 年生まれのおばあちゃんよりお話しを伺うことができた。武甲山は地酒やお菓子、人名にまでなるほど秩父の人にとって思い入れのある山で、写真館でも昔は武甲山をバックに家族写真を撮ることが多かったとのこと。セメント産業関連に従事する人が多く、山の開発に異を唱える人は少数派。一年で 10m掘り下げられ今後 80 年は掘削が続けられる。秩父神社の御神体は、武甲山。その核心部は「大蛇窪」と言われ、かつては池を湛えていた。秩父祭りはその池に対する感謝の意味があった。山の掘削で池は消え、今では湿地帯となっている。

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